言語発達と知的能力は密接に関係しています
サリー・ウォード
生まれたばかりのときには何もできない赤ちゃんが、生後たった4年の間に、どうやってことばを覚えるのか、それはいまだに謎のままです。
赤ちゃんが出すでたらめな音にまわりのおとなが応じると、赤ちゃんはだんだんことばを覚える、というのが言語発達に関する初期の学説でした。たとえば、「ママ」に似た音を出すたびにお母さんが来てくれると、赤ちゃんは「ママ」という音と、「お母さん」を関係づけるようになる、というのです。
しかし1950~60年代、言語学者のチョムスキーはこの説を否定しました。彼の主張は、こどもは言語習得するための能力を生まれたときから持っており、ことばを聞くとその「言語獲得装置」が作動して、聞いたことばを意味づけしたり、文章を作ったりできるようになるというものでした。
別の高名な言語学者ピンカーは、最近の著書の中で、こどもは単語には名詞、動詞などの種類があり、それぞれ文の中で違った役割を果たすこと、そしてそれはすべての国のことばに共通するということを生まれたときから知っている、との立場を取っています。ネコのミーコが花びんを倒してしまったときにお母さんが「ミーコったら―」と言うのを聞けば、事件を起こしたのはミーコで、ミーコが文の主語であることがすぐにわかるというのです。
言語知識がこのように生まれつき内在するのかどうか、意見がなお分かれるところです。しかし、人間の赤ちゃんが、生後、驚くべき速さでことばを覚えるわけを説明するには、赤ちゃんが何らかの知識またはメカニズムをもともと持って生まれてくると考える必要がありそうです。このことについては、学者の間でもおおむね意見が一致しています。
ことばを覚えてゆく上で、まわりからの働きかけは、どの程度影響するでしょうか。言語発達のいくつかの重要なポイントは、たしかに環境からの影響をほとんど受けません。高度難聴のこどもも聴力正常のこどもと同じ時期に哺語を言い始めますし、初めてことばを言う(初語)時期は、その子のおかれた環境にかかわらず一定です。ただし、その先の言語発達や社会性の発達が、環境しだいで大きく変わることは間違いありません。
共同研究者のディアドリと私の臨床経験からわかったのは、こどもに対する親の接し方を望ましいものに変えると、こどもは大きく変化するということです。これが「語りかけ育児」のとても重要な部分です。
つまり、ことばを身につけるための機能を生まれつき持っているとしても、話しかけ方しだいでこどものことばの発達には大きな影響が出るのです。このことは「語りかけ育児」を体験するにつれておわかりになると思います。
こどもの理解レベルに合わせて話をする
ことばを使ってコミュニケーションすること。これは、人間と他の生き物との大きな違いです。こどもがすぐれたコミュニケーション能力を身につけられるようにおとなが気をつけてあげたいものです。
幼児期にことばが遅れている子はとても多く、7歳児では10パーセント以上です。何らかの神経系や機能面の問題から起きている場合もありますが、大半のことばの遅れは、おとなが話しかけることばと、こどもが理解できることばのレベルがうまく合っていないために起きているようです。
おとなは、自分の話しかけ方をこどもの年齢や大きさに合わせて上手に変えていくものなのですが、こどものことばの理解度が年齢よりも遅れ気味の場合、おとなの話しかけ方とこどもの理解度との間にずれが起こりやすくなります。
こどもの理解度が遅れる理由はいろいろです。鼻の病気や中耳炎は赤ちゃんや幼児にはありふれたことですが、炎症などによって聞こえにくくなると、赤ちゃんはてきめんに聞こうとしなくなり、結果として理解が遅れることがあります。
赤ちゃんかお母さんが長い間病気だったり、遠くヘ引っ越したりして家族の手助けが受けられないといった、生活上の避けられない事情やストレスによっても問題は起こりえます。
ことばの遅れには、さまざまな要因がからむので、虐待とか重大な育児放棄といっためったにない深刻な場合以外には、こどものことばが遅れたのは自分のせいだ、と親が自分を責める必要はありません。
まわりからの刺激が知的な力を伸ばす
知能は生まれつき決まっているのか、それとも生まれた後に決まるのか。これも、18世紀以来いろいろ議論されてきました。今のところ、研究者の間で一致しているのは、赤ちゃんはあらかじめ決められたプログラムどおりに自動的に進んでゆく機械とはちがう、ということです。
妊娠12週には早くも神経細胞の協調的な動きがはじまり、それによって、脳の形態が変わってゆきます。
新生児の脳細胞は、数だけはそろっていますが、お互いをつなぐ回路がまだできあがっていません。生まれてすぐから、赤ちゃんの感覚を通してはいってくる感覚情報(刺激)が神経を活動させ、無数の神経のつなぎ目(シナップス)をつくります。
生後3年間くらいで脳は大きな発達をとげます。この時期、脳の中の神経回路をつくりあげるためにはまわりからの適切な刺激が必要です。
2歳前後のこどもは、脳の中におとなの脳の2倍の数の神経のつなぎ目(シナップス)を持っていて、情報を伝えるためには、おとなの場合の2倍のエネルギーを使います。この時期につくられたもののあまり使われないシナップス結合は10歳を過ぎるとだんだんなくなっていってしまいます。
周囲からの刺激が不足すると、発達上の問題を引き起こすというさまざまな研究の結果に基づいて、アメリカ合衆国やイギリスでは、文化的に貧しい環境のこどもたちに、3歳児から豊かな遊びや十分な語りかけを行って豊富な刺激を与えようとする保育プログラムを行い、大きな成果をあげました。
人は生まれたときから知的な能力に差があります。私たちみんながアインシュタインになれるわけではありません。けれども、知能指数は固定していて絶対変わらないというものでもありませんし、特に発達初期の環境しだいで大きく変化する可能性もあるのです。
ことばが発達すれば、知的能力も伸びる
こどもは、周囲のものやできごとや人について、探索したり経験したりしながらことば(言語)や知的な力を発達させてゆくのですが、知的な力と言語とは深く関係しています。
物の名前を言えるようになるには、あるものが見えなくなっても、そのものは存在しつづけるということがわかるだけの知的発達が必要です。
赤ちゃんは最初、自分のうちのネコだけを指して「ネコ」と言います。けれども他の場面でおとなが「ネコ」ということばを使うのを聞いているうちに、どんな場面にも「ネコ」は「ネコ」として一般化できるようになります。ことばによって整理してもらうことで、概念形成は大いに進むのです。
ジグソーパズルをしているこどもに、おとなが「向きを変えてごらん」とか「それは小さすぎるよ」と話しかけてあげます。ことばによって整理してもらうと、こどもはそこで学んだことをほかのときにも応用できるようになります。
4歳半までに、こどもはすっかり言語を身につけ、おとなと同じように使いこなせるようになります。たとえば、ジグソーパズルをうまく完成させるには、ピースをどんなふうに並べたり動かしたりすればいいか、あらかじめ頭の中で言語を使って予想したりやってみたりできるようになります。実際に身体を動かしてやってみるまでもなく、問題を解決できるようになるのです。
「君が先にやっていいよ、その次が僕だ」などと事前に計画したり、話しあったりもできるようにもなります。
知的な力は言語の発達と切り離しては考えられません。「語りかけ育児」は、その点について大きな意味を持つのです。
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ウォードさんのあとがきともいえる、「言語発達と知的能力」の関係についてのお話です。私たちは、こどもが話せるようになるのは当たり前と思っていますが、こどもがことばを獲得していく過程と周囲の話しかけ方の影響の大きさに改めて感じ入っています。ことばが使えることで、人間はすぐれたコミュニケーションの能力を身につけ、現在にいたるまで文化を発展させてきました。考えてみれば、ことばが使えるということがいかにすごいことであるかがよくわかります。
私たちの社会は、適切なコミュニケーションが行われることで、安心してくらしていけるのではないでしょうか。終わりの見えないウクライナの紛争にしても、身近な家族や友人とのトラブルにしてもコミュニケーションがうまくとれないことに起因しているとさえいえるのではないでしょうか。そのためにも、「こどもがすぐれたコミュニケーション能力を身につけられるようにおとなが気をつけろ」ことは、おとなの責務とさえ言えるでしょう。さらにまた、こどもの知的な力を伸ばすために、ことばの発達は欠かせません。ウォードさんの提唱する「語りかけ育児」の果たす役割は、きわめて大きいと私は思います。乳幼児を育てているお母さんにぜひ学んでいただき、実行していただきたいというのがこの本を読んでの私の感想です。
今日で、この本については終了です。参考になる箇所がたくさんありましたが、分量の関係で略させていただきました。ぜひ、全文をお読みいただければ大変参考になると思います。
2020年4月から始めて、記事番号も798号になりました。できれば続けたいと思っておりますが、まだ読みたい本が決まっておりません。4人目の孫娘も生まれました。次の本が見つかりますまで、しばらくお休みしたいと思っています。お出かけいただきました皆様、本当にありがとうございます。
再開することがありましたら、お出かけいただければ幸いです。