「子どもへのまなざし」を読む 54 - かわいがり子育て

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「子どもへのまなざし」を読む 54

『思いやりは身近な人とともに育つ』 (続き)
 子どもは身近な人をお手本にする
 人間の子どもというのは、それはみごとに、身近にいる人をお手本にい
たします。私たちからみてよくわかる、いちばん極端な例は、狼少年とか
狼少女の話です。アベロンの『野性児』、あるいは『狼少女』のような例
です。『狼に育てられた子ども』など、いろんな本がでておりますが、読
まれた方もいらっしゃるかもしれません。そのうちのひとつ、『狼少女』
のお話をします。
 インドのカルカッタの郊外で、狼の洞窟から出入りをしている、あたか
も人間のような四つ足の生きものを村人がみつけて、自分たちが尊敬する
村の教会の牧師さんに、そのことを伝えにいきます。牧師さんが村人を集
めて、その少女を救出するといいますか、人間のもとに取り戻すわけです。
そうしましたら、女の子が二人で、ひとりの子は推定年齢が七、八歳、も
うひとりの子どもが三、四歳だったと思います。本当の姉妹であったかど
うかわかりませんが、その二人の女の子を村人が救出して、その後ケアを
していきますと、いろんなことがわかってまいりました。
 まず、狼少女は二本足で立って歩かなかった四つ足で親の狼とおなじ
くらいすばやく移動ができたのだそうです。これは大変意味深いことです。
なぜ人間の子どもなのに、立って歩かなかったのだろうかという疑間が生
じます。親の狼とおなじくらいすばやく移動ができたとすれば、もともと
手足の運動機能に不都合さはなかったのでしょう。ですから十分に走りま
われるわけです。
 なぜ立って歩かなかったのか、あるいは人間の子どもはなぜ立って歩く
のか、ということを考えてもいいかもしれません。それは、まわりのお手
本が立って歩くからなのです。狼少女にとっては、身近なお手本の親の狼
が四つ足で移動していたから、その子どもたちは、はいはいの延長のよう
な四つ足のままで、育ってしまったのですね。
 最初の誕生をむかえるころに、狼少女たちが伝い歩きをするとか、つか
まり立ちをするとが、あるいはひとり歩きをしようとしたときに、親の狼
がそんなことをしてはいけませんと、しかったのではないと思います。狼
少女たちは立って歩こうとしなかったのです、それはお手本が四つ足だっ
たからですね。
 人間の子どもは食事のとき、しつけが悪くても、あるいはなにもしつけ
をしなくても、最初から、手づかみでものを食べますけれども、狼少女
は「前足」の手で食べ物をおさえておいて、そこへ口をもっていって食べ
といいます。
 人間は箸やスプーンを使うか、フォークを使うか、なにを使うにしても、
とにかく、ものを口にはこんで食べます。ですから、子どもはそれをみて
いるわけです。私たちは、手を使って食べなさいということを教えません
が、子どもはとにかく、食べ物を口にはこんで食べるということを、みて
いるだけで覚えるわけです。ですから、人間の子どもは手づかみで口には
こんで食べるわけです。ところが、狼少女の場合は、狼の親は食べ物を手
で口にはこんでいない、前足でおさえて口をそこへもっていって食べてい
わけです。ですから、親の食べている姿をみているだけで、そういうし
ぐさを覚えるのです。
 とうぜん、はじめのうちは、狼少女は言葉をひとことも話しません。そ
れは、狼の親が言葉をしゃべらなかったからですが、狼少女たちは、人間
が聞いて狼と区別ができないほど、じつにみごとな遠吠えをすることがで
きたのです。発声もなにもかも狼そっくりにやるわけです。移動も四つ足
ですし、ものの食べ方もそうですし、遠吠えの声も狼そっくりにできるの
です。
 人間というのは、このように耳で聞いたことを、そのまま音にすること
ができるのです。アメリカの子どもは英語を聞いて、英語のとおりに話を
するし、日本の子どもは日本語を聞いて、日本語のとおり話をします。そ
れぞれの地方の聞き覚えた方言をそのまましゃべるし、フランスの子はフ
ランス語を話すのです。そして狼に育てられた子は狼の発声をするという
わけです。
 ものの食べ方にしろ、移動の仕方にしろ、みんな親のやること、まわり
の人のお手本どおりにやるのですね。人間の学習力の大きさや豊かさには、
あらためておどろかざるをえません。
 おそらく、猿が狼に育てられても、猿は狼のようにはならなくて、猿に
なってしまうだろうと思います。そういうことを実験している人がいます
けれども、猿はだれが育てても、やっばり猿になってしまうのですね。学
習する機能の豊かな人間の子どもだから、狼のようになるのです。もし人
間の子どもが猿に育てられたら、どれくらい木登りがうまくなるか、これ
はそういう実験がありませんからわかりませんが、きっと私たちよりはは
るかに、木登りが上手な猿ににた人間にはなるでしょう。それから、きっ
と「キッキッ、キャキャ」と奇声を発するでしょうね。
 ですから、子どもの心に思いやりのような人間的な感情が育たなかった
としたら、不幸なことに、その子はそういう思いやりのある人に、めぐり
会えない環境で育ったということかもしれません。人間の本来の学習力か
らすれば、そういうことがいえるでしょう。人間の子どもを、狼はじつに
狼らしく育てられるのに、人間が人間らしい子どもに育てられなくなって
しまったとしたら、私たち大人が人間らしさを失っているということだと
思います。
 昨日の、思いやりはどうやったら育つのかについて、狼少女のお話しを例にしながら、思いやりのある人にめぐり合うことの大切さを確認しています。
 節の最後の一文は、時々出てくる現代の大人に対する警鐘ですね。いつも、自分のことに引き比べて、気をつけなければと思うのですが・・・・。続きます。
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