「子どもへのまなざし」を読む 60 - かわいがり子育て

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「子どもへのまなざし」を読む 60

『子ども同士の遊びのなかで生まれるもの』 (続き)
 遊びのなかで自分をみつける
 子どもたちは、仲間といっしょに遊べるようになると、まずルールをつ
くる、かならず規則をつくります。そして、その規則を守れる子どもだけ
が、原則として遊びに参加する資格がある、子どもたちのいろんな遊びを
みているとそう思います。そして、つぎに役割を分担し合う、どんな遊び
にもまったくおなじ役割というものはなくて、みんなにそれぞれの役割が
あるのです。さらに、それぞれがなにかの役割をするときには、自分はこ
の役割をやるぞということで、仲間の承認を得なければなりません。仲間
の承認を得て、はじめてその役割を演じることになるわけです。
 みんなで規則をつくり、規則を守り、仲間の承認を得てから役割を演じ、
そして、みんながその役割にともなう責任を果たし合うそうすることが
遊びなのです。そして、自分の行動が、みんなから期待されている行動に
なっているのかどうかということも、子どもたちは自分で自分をチェック
しながら、その範囲で自分が思いきりやりたいことを、やりたいようにふ
るまうのです。子どもは、仲間といっしょに遊ぶということは、自分がや
りたいことはなにか、しかし、どこまでは抑制しなければいけないのか、
がまんしなければいけないのか、制限しなければいけないのかということ
も、ちゃんとわきまえることであるということを知っているのです。
 たかが遊び、されど遊び。子どもたちの遊びの持つ意味の大きさというか、深さというか、子どもたちの遊びをみて、そんなんことを考えたこともありませんでした。
 子どもたちは遊びのなかで、そういう機能や能力を身につけていくので
す。しかも、そういう力を習得していく過程が、遊びの喜びでもあるので
す。大人の場合は、魚釣りやゴルフの腕前が上達していくプロセスが楽し
い、というようなことでしょうか。
 ですから、遊びのなかで規則がきびしくなればなるはど、役割が困難に
なればなるほど、遊びは緊張に満ちてきます。しかし、この緊張の大きさ
が遊びの感動の大きさに比例するのです。だから、緊張がない遊びという
のは感動も小さい、あるいは感動もない、遊びというのはそういうものな
のだということです。
 ヴィゴツキーが結論的にいっていることは、「おそらく、人間が成長し
ていく過程で、倫理観とか、道徳観とか、社会的な役割とかいう、社会的
な人格を成長させていくプロセスには、幼児期から小学校の低学年にかけ
てのこういう遊びは、不可欠な要件だろう」と、こういうことではないか
と思います。
 ようするに、本来、子どもたちの遊びというものは、まずみんなで規則
をつくり合う、そしてその規則を守り合う、参加するものがそれぞれの役
割を、仲間の承認を得て分担し合う、その役割にともなう責任を果たし合
う、そのなかであふれるばかりの感動を分かち合う、共有し合う、遊びと
はそういうものですね。こういう仲間との遊びの体験をしっかりと積み重
ねることなしに、社会的ルールを守れるような健全な人格は、育たないで
あろうということを、ヴィゴツキーの研究はいっていると思います。
 幼児期から小学校低学年の時期の遊びの大切さに改めて気づかされます。この時期の子どもたちの遊びが保障される環境に心を配りたいと思います。
 ありがとうございます。続きます。
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