「子どもへのまなざし」を読む 61 - かわいがり子育て

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「子どもへのまなざし」を読む 61

『子ども同士の遊びのなかで生まれるもの』 (続き)
 子どもたちは遊びのルールをつくる
 たとえば、幼い子どもが二人で砂場で遊んでいる。川をほり、山をつく
り、トンネルをほっている、こういう遊びをしている場面だって、ちょっ
とみてごらんなさい。僕は川をほる、君は山をつくりなさいというふうに、
ちゃんと役割を分担し合っているのですから。
 保育園に相談にうかがって、子どもたちが砂場でこういう遊びをしている場面を何度となく見ているはずですが、このように理解してみたことはありませんでした。せいぜい、二人が協力しているか、それともバラバラに遊んでいるかを見ている程度でした。
 こんど、こういう場面に遭遇したら、よくよく注意して観察したいと思います。
 山ができたからトンネルをほろう、僕はこっちからほっていくから、君
はそっちからほっておいで、この高さでほっていくとつながるんだよ、い
そいでほると山がくずれるかもしれないから、用心してゆっくりほるんだ
よと、言葉で言い合うか、あるいは暗黙の了解であるかは別として、ちゃ
んと二人で目配せをし、気配りをしながらルールをつくり、ルールを守り
合い、約束し合って遊んでいるのです、子どもというのは、遊ぶときには
かならず遊びのルールをつくるというわけです。
 ロシア語でどういうのか知りませんが、ある姉妹が、いまから、お姉さ
ん妹ごっこをしよう、そうしましょうと二人がいった。すると急に、お姉
さんは模範的なお姉さんを演じはじめ、妹はおそらく、親やまわりの人が
期待しているであろう女の子を、演じはじめたというわけです。そして、
それまで遊んでいたふだんの二人の姿とはおよそちがったお姉さんなり、
妹なりに、なりきって遊びはじめたのです。緊張があったし、ある種の感
動はあったけれども、二人ともよそいきの動作をしているわけですから、
途中でくたびれてしまいました。
 それで、もうくたびれたからやめようということになったのです。お姉
さん妹ごっこ遊びが終わったあとは、ごく自然にもとどおりの姉妹に戻っ
て遊んでいた、こういうわけです。お姉さん妹ごっこをしようとしたとき
には、おたがいに暗黙の了解があって、お姉さんはよりお姉さんらしく、
妹はより妹らしく、家族が期待しているような、あるいは社会や先生が期
待しているような、年齢相応の女の子たちを演じたのでしょう。遊びとい
うのはそういうものなのです。おたがいにおたがいを制約し合い、おたが
いに役割を演じ合い、規則を守り合い、そしてしかも楽しくということで
遊んでいるわけです。
 いわゆる、ままごと遊びでは確かに、子どもたちが役になりきるという場面は見ることがありますね。~ごっこという遊びはわかりやすいのかもしれません。
 このようにルールのある遊びには、うんと幼い子どもはルールを守れな
いし、ルールづくりに参加できないから、いっしょに遊ぶのはむずかしい
かもしれません。けれども、子どもたちは幼い子にたいしても、特別な除
外規定をつくったりして、いっしょに遊ぶことをくふうするのですね。
 もう君は大きくなったのだから、このルールを守って、このなかに入っ
て遊んでもいいよということを、ある年齢になったら年上の子からいわれ
て遊んでいくのです。こういう遊びを経験することが、社会的人格、ルー
ル違反をしないで社会生活をすることができる人格をつくるために、決定
的にだいじだということをヴィゴッキーはいっているのです。この研究は
本当にすばらしいものだと私は思いました。
 遊びの持つ意味の大切さ、これを指摘したヴィゴッキーの研究は佐々木先生のおっしゃるとおりですね。さらに続きます。
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