「完 子どもへのまなざし」を読む 14 - かわいがり子育て

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「完 子どもへのまなざし」を読む 14

一 人間関係と社会の大きな変化 (続き)
現代の社会、家庭でおきていること (続き)
 日本特有のひきこもり
 もう四〇年以上も前のことですが、私は若いころカナダのバンクーバー
に留学して、エリク・H・エリクソンを学びました。そのとき指導してい
ただいたのは、精神分析学派の著名な学者であり、臨床者のカール・クラ
イン先生でした。クライン先生はエリクソンの親友でもあり、私たち児童
精神科の医者になろうとしている若い医者を前にして、エリクソンのレク
チャーをしました。
 先生は基本的信頼の反対が不信感です基本的信頼が人に生きる希望
を与える基本的信頼というのは抽象的な概念で、わかりやすい概念にお
きかえれば希望(ホープ)です。じゃあ、不信感の中身はなんですか」と、
私たちに質問しました。希望の反対と問われたら、みなさんはどうお答え
になりますか。私たちは安易な直感ですが絶望と答えましたクライ
ン先生は、私たちのそういう返答を予想されていたようでしたが、「エリ
クソンはさまざまな研究から、ホープの反対をウィズドローアル(ひきこ
もり)といっていますと教えてくれました
 私はそのときウィズドローアルという言葉を聞いてもピンときません
でした。カナダから帰って何年か経つうちに、だんだんそのことの意味が
わかってきました生きる希望がなければ、人間というのはどうするのだ
ろうということです。エリクソンはひきこもった人をたくさん見たわけで
もないのに、人間のこういう行動様態を解き明かしたのです。あんな時代
にどうしてそんなことがわかったのだろうと、あらためてエリクソンの偉
大な仕事におどろかされます
 いま、ひきこもりというのは日本で児童、青年精神医学、あるいは家
族精神医学の全体を考えるなかで、最大のテーマになっていますが、こう
いう現象は日本の若者に特有なもので、欧米にはほとんどないのです。
 この部分は、最近の資料によると少し状況がかわってきているようですね。「Hikikomori」という言葉が世界で通用することから、日本の若者に特有とみられていましたが、世界各国でも同様の状態にある若者のことが問題になってきているようです。
 現在、不登校とひきこもりは、一種の連続帯として語られています。
文部科学省の発表(二〇〇三年)では、全国の不登校の小中学生は、一四万
人という報告をしています。学校教育の現場では、不登校の数はかなり正
確に把握することはできますが、学校教育の終わったおとなをふくめた、
ひきこもっている人の数は、はっきりとわかりません。一〇〇万人はいる
だろうといわれていますが、ひきこもりの人の家族会が主催するシンポジ
ウムにでておりましたとき、全国ネット組織の調べでは、推計一五〇~
一六〇万人ではないかというお話を聞きました。そうすると日本人の赤ち
ゃんから老人までを入れても、一〇〇人に一人以上になります。すごい数
ですね。どうしてこのような現象が日本に広がってしまったのか、私たち
一人ひとりが、いろいろ考えなければいけないことだと思います。
 過日、名古屋駅の構内の書店で、マイケル・ジーレンジガーというアメ
リカの高名なジャーナリストのひきこもりの国という著書を見つけて
読みました。著者は長い歳月、わが国をはじめ環太平洋地域を担当して、
中国に関する報道で一九九五年には、ピュリツアー賞の国際報道賞の最終
候補にも選ばれた人だそうです。ジーレンジガー氏は、日本に特有な子ど
もや若者のひきこもりについて、数多くの若者や専門家、親の会の人たち
へのインタビューをくり返しながら、多くの指摘をしています
 たとえば、若者を日本、韓国、中国だけでも比較してみてください。日
本の若者だけが、ほかの二国にくらべて「驚くほどの無力感と厭世観に支
配されている」ことがわかるでしょうと書いています。けれど、ひきこも
りなど無気力にみえる若者が、本来、けっして「なまけ者」ではないこと
を見ぬき、それどころか、彼らの多くは「頭がよく、繊細で、きちんと自
己認識ができている」ことを解説しています。また、日本の親子はアタッ
チメントの形成が弱い、ということについても書いていますアタッチメ
ント(愛着)というのは乳児期、遅くとも早期幼児期までに、特定の人に
対していだくとても重要な感情です。複数の人に対して愛着を形成するわ
けではなく、そのうちの一人、一部の例外をのぞけば、お母さんに対して
いだく感情で、それを基盤にして、いろいろな人との関係をつくっていく
のです。自分は、この人から無条件に十分愛されるであろうこの人から
半永久的に愛されるであろうこういう確信に満ちた感情です。それをア
タッチメントといいます。これは生涯にわたって持ち続ける感情ですが、
そこが日本人は弱いのではないですかと、ジーレンジガー氏は書いていま

 さらに、子どもが育っていくプロセスのなかで、日本の家庭には本音の
会話が乏しいということも指摘しています。私たち日本の家族は、家庭の
なかでどのくらい本音でものがいえているのでしょうか。幼いときから、
親の顔色を見ながら、ものをいっているのではないでしょうか。思ったこ
とを安心していえる子に育てられなければいけないのですが、子どもとい
うのは、相手を心から信じることなしには本音でものをいえないのです。
エリクソンの言葉を借りれば、基本的な信頼のことですが、人を信じる力
が弱い、だから、自分を信じる力が弱いという問題があるのではないか
書いています。
 ひきこもりだった二人の方が、ひきこもりにいたるさまざまな経緯や、
ひきこもりから社会へ再出発をはじめたことなどを書いた本があります。
 勝山実さんという方が書いたひきこもリカレンダーという本のなか
、勝山さんは「一人っていうのは寂しくないんですよね。寂しいのは大
勢の中でみんなに交われずに一人になった場合です。自室でひきこもって
いる限り寂しくはありませんと書いています
 たぶん、みなさんにも、私たちにもわからない心理状態かもしれません
が、一人というのは意外と寂しくないもので、むしろ大勢の人のなかにい
るのにまじわれないで、一人きりになってしまう心理状態がつらいといっ
ているのでしょう。さらに「ボクの心は家庭、学校、仕事とあらゆる場所
で叩きのめされ、ほとんど修復不能状態でした。そこで始めたのが<ひき
こもりです>」と書いています。
 もう一人の当事者で、上山和樹さんという方が書いた『<ひきこもり>
った僕からという本があります。上山さんは本のなかで、自分の経験に
照らし合わせて「ひきこもりというのは、根本的に価値観の葛藤であ
と思うのです。これは端的には、〈コミュニケーションがうまくいかな
という問題に集約されます」。さらに「核心的には〈コミュニケーシ
ョンヘの絶望〉です」と書いています
 コミュニケーションに絶望しているとは、どういうことでしょうか。簡
単にいいますと、だれとも心が通わなくなったということですね。上山さ
んは会話などは自由にでき、言葉はじつに豊富で、とても頭のよい人だと
わかります。ところが、人と向かい合ったときにコミュニケーションがで
きない絶望的になってしまうのですね。親ともコミュニケーションがで
きなくなったというのは、どういうことでしょうか。意外に、親とのコミ
ュニケーションの問題が、一番もとのところにあるのかもしれませんね。
 ひきこもるということは、人と関係ができないということです。人とい
きいきと心が通じ合わないということなのです。通じ合わない最初は、ま
ず、家族と心が通じ合わなくなるのです。家族との人間関係がいきいきし
ている人が不登校になっている、ひきこもっているという例を、私はみた
ことがありません。だけど、単純にその家族が個人的に悪いといっている
のではありません。なぜこうなったかということを、私たちは考えなくて
はならないと思います。
 エリクソンは人間というのは、人間関係のなかでしか成熟していかな
ともいいました。そして「人間を成熟させるよい人間関係というの
は、だれとだれの関係であっても、相手に与えているものと相手から与え
られているものが、等しい価値をもっているように認識できる関係だ
いうことです。これはよくわかります。たとえば、若いお母さんが赤ちゃ
んと一緒にいることに、幸福を感じることができたら、赤ちゃんもお母さ
んと一緒にいることに、幸福を感じることができます人間関係というの
は、いつもこういうものなのです
 先ほどの勝山さんは、「あなたでなければだめなんだ。あなたが必要な
んだと強くいわれることが、ひきこもりからの一番の回復の近道だだけ
ど、それになかなかめぐり会えない。ですから、不登校、ひきこもりは、
ボランティア活動をきっかけに社会への再出発をしていくことが非常に多
という意味合いのことを書いています人間というのは、自分のこと
を必要としてくれる人、強く求めてくれる人にめぐり会って、自分という
ものを見出していくわけです。自己肯定感、自尊感情を見つけていくわけ
です。本当は、小さいときにお母さんから、こういう人間関係や感情を育
てられたら、もっとも幸せです
 マザーテレサの名言に愛のはじまりは家庭からというのがありま
家庭内で十分愛されてこなければ、子どもたちは人を愛する力を得る
ことができません幼少期の家庭内でのすごし方が、青年期以降の生き方
に運動することを、『ひきこもりの国を読んで、あらためて強く思いま
。私はわが国の家庭に、いきいきとした会話を取りもどしたいと思って
います。家族どうしがたがいに、自分の思いを、本心から自由に語り合え
る家庭の回復を、心から願ってやみません。
 今日も長文でした。これで、第一章 人間関係と社会の大きな変化は終わりです。多くの節で、気持ちが重くなる思いでしたが、私は最後の節で少し希望が持てそうな気がしています。それは、勝山さんの、「あなたでなければだめなんだあなたが必要なんだと強くいわれることが、ひきこもりからの一番の回復の近道だ。だけど、それになかなかめぐり会えない。ですから、不登校、ひきこもりは、ボランティア活動をきっかけに社会への再出発をしていくことが非常に多い」という意味合いのことを書いていますというくだりです。
 もちろん、基本は、家庭内で十分愛されてこなければ、子どもたちは人を愛する力を得ることができません幼少期の家庭内でのすごし方が、青年期以降の生き方に運動するという佐々木先生のご指摘は、そのとおりだと思いますが、青年期以降、大変な課題を抱えている人に対して、私たちができることがあるかもしれないという希望を持つことができるのではと思えたからです。明日から、第二章 人間関係の発達と課題に入ります。よろしくお付き合いくださるようお願いいたします。
                 
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