「完 子どもへのまなざし」を読む 74 - かわいがり子育て

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「完 子どもへのまなざし」を読む 74

一〇 教えられたこと、思い出すこと
幸福は分かち合うもの
 一九七〇年、私はバンクーバーに留学し、ブリテイッシュ・コロンビア
大学病院のレジデント(研修医)となりました。実際はアパートに住んでい
ましたが、レジデントの本来の意味は、一般の医師が専門医になるため
に、病院に住みこんで訓練を受けるということです。そこで私の指導教授
だった二人の先生のうちの一人はアンドリュー・マクターダット教授と
いう児童精神医学の先生でした。マクターグット先生は、若いときに、ア
メリカのボルチモアにあるジョーンズ・ホプキンス大学で、レジデントと
して訓練を受けられましたがそのときの指導教官が、自閉症を世界で最
初に報告したレオ・カナー教授だったのです。
 レオ・カナーは自閉症を報告したことで有名ですが、専門は児童精神医
学全般です。世界の児童精神医学のパイオニアで、『児童精神医学』とい
う分厚いバイブルのような著書があります。このレオ・カナーに直接指導
を受けたマクターグット教授が、私の指導教官だということに、私はある
運命を感じました。マクターグット先生からは、カナー先生の教えでもあ
るといいながら、いろいろなことを教えられました。その一つに、「人間
は自分の幸福を追求し続けるだけでは、けっして幸福にはなれない本当
に幸福そうにみえる人をよく観察するといい。その人はかならず、だれか
ほかの人たちを幸福にしながら生きている」というものがありました。
 人間は、あの人(あの人たち)を幸福にしたいと、真に願って、そのた
めの努力をしながら生きなければ、けっして自分の幸福を得ることはでき
ないのです。ですから、幸福になるための術は、理屈だけならば簡単で
す。幸福にしたい人をもつなり、探すなりすればよいことになります。
分の目の前にいる家族を、本気で幸福にしたいと思って、努力を続けるこ
とができれば、その人はかならず幸福なのです。地球上の各地で飢えてい
る子どもたちを救いたいと、強く思い続けることができたら、幸福になれ
るのです。しかし人間は、家族にしろ世界の各地の人々にしろ、その人々
のことを強く思い続けることができなくて、つい自分の幸福だけを求めが
ちになり、そして、幸福になれないでいることが多いのです。私たちは自
分の喜びを、喜びをもってむかえてくれる人をもたなければ、真の喜びに
ならないでしょう同時に悲しみも、自分の悲しみのように分かち合って
くれる人がいると、本当になぐさめられるのです。幸福とは分かち合うも
のであるということを、あらためて考えさせられる言葉です
 マクターダット先生が、自分も忘れられないカナー先生の言葉として、
私にも忘れないようにと教えてくださったことがあります。レオ・カナー
は「私たちおとなは、親でも教師でも、子どもの将来の幸福を思うばかり
に、子どもに過剰な期待をしてしまいがちです。その感情は、本質的には
愛情にほかなりませんがそのことが子どもには、かならずしも、おとな
の気持ちどおりには伝わらないのです。過剰期待というものは、その本質
に、現状のあなたには満足していないという感情があり、相手に与えるも
のは愛情どころか、拒否や否定につながるメッセージであり続けることが
多いのです。教育熱心な親や教師が、子どもを育てる過程で、しばしばま
ちがいをおこすのは、この感情からですという意味合いのことを説いた
そうです。
 子どもに対する過剰期待の感情には、おとなたちの自己愛的な欲望もあ
るでしょうから、子どもたちへの愛情だと思っている私たちおとなの気持
ちは、その中身には複雑なものがあります。けれども、レオ・カナーは
自閉症の子どもだけではなく、すべての子どもについて、治療や教育は、
現状を肯定することからはじまるといっています
 レオ・カナーはほかにもたくさん大切なことをいっていますが、「
ま、この子に何をしてあげたらいいのかということがわからなくなった
ら、いったん立ちどまりなさい。そして、自間自答をかならずしなさい。
自分の気持ちのなかに、この子に対する愛情が十分にあるかどうかを確認
しなさい確認できなかったら一歩退きなさい」と、こういわれたので
す。
 私なりに解釈しますと、このようなことです。すなわち、この子に対し
て十分愛情が確認できたら、何をしてもまちがいではないと、レオ・カナ
ーはいったのです。おわかりになりますか。相手に対して心からの愛情が
あれば、それが伝わります。相手に対して愛情もないのに、ああだこうだ
というのは、いいことをやっているつもりでも、いい結果にならないこと
が多いのです。
 相手に対して愛情もないのに、いいたいことをいうのは自己愛です。相
手のためにいっているのではなくて、そういわないと、自分のほうが気が
済まないからいうのですね。どんなに常識的なことをいっても、相手は素
直に聞いてくれません。この子はなんと憎たらしい、いやな子だと思って
いるときには、何もしないほうがいいのです。レオ・カナーの言葉を借り
ればそうですが、比喩的にお聞きください。でも、レオ・カナーはすごい
人だと思います。
 児童精神医学の世界的なパイオニアであるレオ・カナーの教えや、私た
ち研修途上の若者に研究や臨床上の多くの問題を、諄々と説いてくれたマ
クターゲット先生は、留学当初、適当なアパートの見つかるまでの私たち
夫婦を、三週間くらい自宅に泊めてくださいました。先生には四人の娘さ
んばかりで、かわいい美しい二人の小学生と幼い子がいましたが、泊めて
いただいたというより、自宅をまるごと貸していただいたというほうが正
しいと思います。
 その後も、家族ぐるみの交際をしていただきながらの留学でした。夏休
み中で、先生一家は、近くの島で休暇を楽しんでおられるということでし
たが、私たち二人のために、あえて島での長期休暇にされたのではないか
と、私たちは恐縮しながら滞在させていただきました。先生は一週間に二
度くらい帰宅して、大学や病院での仕事をしていましたが、妻のつくる和
洋折衷の朝食を、本当に喜んで食べておられた姿が忘れられません。
 先生のご恩に報いることができず、心残りになっていることが一つあり
ます。もう二〇年以上も前のことですが。大学を退職された先生から不意
にお便りがあり、先生がWHO(国際保健機関)から、大きな仕事の団長
を委嘱されたというのです。それは、旧ソビエトのチェルノブイリでの原
子力発電所の事故(一九八六年)によって、心の傷を負った多くの子どもた
ちのケアについて、プロジェクトチームの団長の任にあたられることにな
ったのです。
 まず、調査のために現地を訪問したいから、もし時間が取れるようなら
ば、応援にきてくれないかというお手紙をいただいたのです。私は、取る
ものも取りあえず駆けつけたいという心情になりましたが、当時、横浜で
地域療育機関のセンター長をしておりました。そして、お手紙には少なく
とも三週間の滞在が必要だということが書かれており、そのことが許され
る状況にはなかったのです。このうえなく残念で、悲しいかぎりの気持ち
でしたが、当時の職責上お役に立つことができないことを、つらい思いで
返信したことを忘れることができません。いまでも悔やまれる思い出で
す。先生は数年前に他界されて、いまは、奥様とクリスマスカードの交換
のみになりました。
 佐々木先生の人生は、行く先々で素敵な人々との出会いに恵まれた人生だったのでしょうね。おそらく佐々木先生のお人柄のなせる業なのでしょうが、その出会いを糧とされ、これほどの業績を残されたのでしょう。レオ・カナーから直接指導を受けた指導教官から学び、あるいはエリクソンに学んだ指導教官に教えを受けられるなど、うらやましい限りですね。
 心に留めておくべきフレーズがたくさんある一節ですが、幸福とは分かち合うものであるという一文はとりわけしっかりと覚えておきたいと思います。続きます。
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