「完 子どもへのまなざし」を読む 75 - かわいがり子育て

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「完 子どもへのまなざし」を読む 75

十 教えられたこと、思い出すこと (続き)
やりたいことより、期待されていることを
 若い日にカナダのバンクーバーに留学したときに教えられたカール・ク
ライン先生は、精神分析学派の高名な学者であり臨床者でした。アイデン
ティティなどの概念で著名なエリク・H・エリクソンと親友でした先生
をとおしてエリクソンの業績や、フロイトの精神分析の講義を受け、深く
学ばせていただいたことに感謝はつきませんクライン先生は、まだわが
国では、ほとんど問題視されていなかった学習障害(LD)の世界的な専門
家でもあって、いち早く多くの教えをいただきました。当時、わが国から
世界に向けて発表されていた学習障害の論文は、慶応大学の牧田清志先生
の論文ただ一つでしたから、日本には学習障害の生徒は、ほとんどいない
らしいとお考えのようでした。ですから、クライン先生は、ご自分の講義
やセミナーのうち、学習障害に関する時間は、ほかの教授のセッションに
出席したはうがいいのではないかと案じてくださいました。しかし、私は
先生の人格に深い共感を覚えていましたから、先生の学習障害の授業にも
出席し続けました。そのことが帰国後から今日まで、どれはど大きな役に
立っていることか、はかりしれないものがあります。
 ちなみに、マクターダット先生がジョーンズ・ホプキンス大学で、レジ
デントとして一緒に学んだ仲間の一人に、慶応大学から留学していた牧田
清志先生がいらっしゃったことを、マクターグット先生からお聞きしまし
た。
 クライン先生ご夫妻は、児童精神医学の研究や臨床のほかに、子どもや
家族の保健や福祉に関する社会活動も熱心にされていました。先生は、そ
れらの活動を具体的に紹介してくださり、とくに外国からきている私に
は、ほかの若い研修医よりも頻繁に、地域内での活動に連れ歩いてくださ
いました。
 そのためバンクーバー市内はもとより、近郊の市町村もふくめて、子ど
もや家族に関するさまざまな施設や機関に、たびたび出入りをしました。
そして、そこで働く職員たちと大変親しくなりました。青少年の非行や犯
罪を審理する裁判の法廷にも、先生が証人の役割をもっている場合には、
よく同行しました。非公開の審理も数多くありましたが、先生は裁判関係
者の同意を取りつけて、数多くの審理の傍聴をさせてくださいました。と
きには許されないこともありましたが、先生の秘書役のようにしていただ
いたと思います。
 私たちは若いころ、精神医学の臨床訓練を受けるときに、治療面接とか
いろいろなことをやります。それを上司が見ていて、「ずいぶん、話を上
手に聞けるようになったじゃないかそろそろ一人前だねといわれたも
のです。そのとき、教育者もそうかもしれませんが、私たちの臨床という
仕事は、相手と上手に話すことがすぐれた治療者ではなく、まず、相手の
話を聞くことが大切なのだと思いました。
 これについて、笑い話のようだけれど本当の話をご紹介します。バンク
ーバーに留学したころ、私は英語が下手でしたから、研修などでは苦労い
たしました。
 私は子どもの精神科の医者ですから、患者さんは子どもばかりでした。
一般的には、大学病院側から、あなたのお子さんはこの先生ですと決めら
れることが多いのですが、患者さんに希望があったら、いってくださいと
いうこともあります。そうしたとき、治療者として私を好む人が、割合多
かったのです。同僚たちは腑に落ちないところがあったようですが、指導
教授はちゃんと承知していたようです。
 どういうことかといいますと私は英語が下手ですから、あまりしゃべ
らないで聞いていることが多いわけです。それが患者さんにとっては安心
なようです。私のほうから上手に話すことはなく、「どうでしょうね」と
いっていればよかったのです。時間の許すかぎり、すこしでも聞き役にま
わってあげようと思っていましたから、きっと、これがよかったのでしょ
うね。
 患者さんは、治療者から大切なことをしっかりいわれるときより、自分
のいうことを聞いてもらっているほうが、ずっと愛に包まれているように
感じるのです。人というのは、そういうものです。こんなとき、どういっ
てあげたらいいかと思うことがあっても、うまくいえなかったら、静かに
聞いてあげればいいのです。聞いてもらう経験が不足した状態の相手に、
どんなにこちらが正しいことをいっても、それは通じません。ですから、
どんなことがあっても聞くことからです聞くことからはじめれば、かな
らず活路は開けてくるということを、バンクーバーでの経験で教わりまし

 当時、アメリカではベトナム戦争の真っただ中でした。そして、徴兵を
拒否するアメリカの若者が、国境をくぐり抜けてカナダに逃避してきてい
ました。先生は強いベトナム戦争反対論者でしたから、お宅には、徴兵拒
否をしてアメリカを逃れてきた若者がいつも何人も生活していました。F
BIに追われるその若者を自宅にかくまい、食事を与えながら、職が見つ
かりしだい社会に送り出していました。
 マクターゲット先生のお宅もそうでしたが、クライン先生のお宅でもよ
くパーティーがあり、その都度、招いてくださったものです。クライン先
生には二人の男の子と一人の女の子がいました。もうみんな青年でした。
私たちが留学を終えて帰国する際には、最後の一週間を、やはり自宅に泊
めてご親切にしていただきました。本当は一か月くらい滞在するようにと
いわれたのですが、私たちが恐縮して一週間にしていただきました。
 そして帰国するときは、先生のお宅から空港まで、先生はご自分の車で
送ってくださいました。いよいよお別れするゲートの前にきたとき、先生
は静かでしたが、満を持していたように「帰国して、またあらたな仕事を
はじめるとき、たくさんの学んできたことは、しばらく忘れて、日本の子
どもや家族の〈あなた〉に対する希望や期待に対して、ただひたすら解決
し努力することを勧めます何をしてやれるかを考える前に、何をするこ
とが望まれているかを知ることが大切です」といわれたのです。
 若いころ留学して、私は自分が先生に本当に恵まれてきたことに感謝し
ています。あの先生がいいからと慕って留学したのではないのですが、そ
こで出会った先生たちがすばらしかったのです。四〇年近く前の思い出で
すが、偶然の出会いにつきない思いがあります。
 今日も、佐々木先生のお人柄が偲ばれる素敵なお話です。私たちは、人との出会いの中でいかにたくさんのしかも大切なことを学ぶかを教えてくださっています。
 まず聞くこと、これがかんたんのようで、なかなかできませんね。自分の面接の録音を聞くたびに気づかされます。あわせて、相手が望むことにどのように応えていくかにも、心配ることの大切さを忘れぬようにしなければと思います。続きます。
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