「完 子どもへのまなざし」を読む 77 - かわいがり子育て

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「完 子どもへのまなざし」を読む 77

十 教えられたこと、思い出すこと (続き)
教えることは学ぶこと、君たち大変だねえ
 私は小学校三年生のときに、父の郷里の滋賀県の農山村に疎開をしまし
た。第二次世界大戦の敗戦をむかえたのは、一〇歳で小学校四年生のとき
でした。村の小学校、中学校を卒業したあと、自転車で山越えをして通学
する滋賀県立日野高等学校を卒業しました。高校でも、何人もの先生に多
くのことを学びましたが、化学の高田徳二郎先生のことが、まず頭に浮か
びます
 先生は学期末ごとの試験の前になると、私たち生徒に向かって「かなら
ず、しっかりと勉強をして、よい答案を書いてほしい」と熱心に語りかけ
ました。「君たちの試験のできが悪いと、教師としての自分の能力に自信
を失うんだ」と、先生はいつも訴えるように話されるのでした。
 生徒であった私たちみんなは、当時おそらく、先生のそんな気持ちを察
する余裕や成熟した感情はなかったと思います。自分の試験のことだけで
頭がいっばいであったと思います。しかし自分も高齢になり、教師の立場
になって、高田先生の誠実な教育者としての気持ちが痛いほどよく理解で
きるようになりました。
 医者になってまもなくの若いころ、私はカナダの大学に児童精神医学の
臨床訓練のために留学しました。そこで、さきほどのカール・クライン先
生と別の先生から、エリク・H・エリクソンのライフサイクル・モデルを
教えられながら、「真の人間関係は、だれとだれの関係であっても、相互
に与え合っているものについて、双方で等しい価値を実感し、認識し合っ
ているものだということを学びました。だから、幼い子と一緒にいるこ
とを母親が幸福に感じることができるならば、その幼い子は母親と一緒に
いることが幸福だというわけです。同じように、生徒から学ぶことができ
る教師だけが、本当に生徒に教えることができるというのです。
 高田先生はそのことを強く感じながら、私たちの教育にあたっておられ
のです。私もそのことを実感できる年齢と立場になったのだと思いま
す。
 先生はまた、当時、私たちその地方の高校生の憧れの的であった、京都
大学のことを例にだしながら、こんなことを話されました。毎年入学試験
が終わると、先生は京大の化学の人試問題を取りよせて、自分で解答を試
みるのだそうです。そして、先生ご自身が一〇〇点が取れたことはないと
いわれました。「化学の教師でも満点を取ることができないような問題
に、君たちは何科目も挑戦しなければならないのだから大変だね」と、本
当に心をこめて話されたことをつい先ごろのように思い出します
 昨日の節といい、今日の節といい、あるいは留学時代の思い出といい、佐々木先生は本当に素晴らしい先生に巡り合われていることに、ただただ感動するばかりです。私は残念ながら、小学校から大学を卒業するまで出会った先生について、佐々木先生のような思いではありません。あるいは、それぞれ素晴らしい先生だったのかもしれませんが、私にそれを感じ取る感性がなかったのかもしれませんが。しかし、社会人になってからは、直接・間接を問わず、多くの先達に出会うことができました。ありがたいことだと感謝しています。
 さて、明日はこの本も最終節に入ります。かなりの長文ですが途中で区切らずに読み進めたいと思います。どうぞ、お付き合いください。 
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