「子どもを伸ばすかわいがり子育て」を読む 32 - かわいがり子育て

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「子どもを伸ばすかわいがり子育て」を読む 32

 4章 もし親が人とつき合うのが苦手だったら (続き) 

 注目されたくて騒ぐ若者たち

成人式で騒ぐ若者たちもまったく同じです。たとえば、 ハイハイして僕を、私を追いかけてよ、というときに追いかけてもらえなかったのかもしれません。

注目獲得行動』――こっち見て行動です。

 暴走族も同じです。暴走族の若者が言っています、『人に迷惑をかけるところでなければ走っても面白くない』と。自分たちに注目してくれることがうれしいのですから。人里離れたところは走らないんです。

 お祭りの日などにことさら大きくやります。

 成人式にも、あんなことをするなら来ないでくれと大人は言いますが、来ないではいられないのです。羽織袴で着飾ってやって来ます。そして爆竹を鳴らすんです。テレビのカメラも回っているので最高のシチュエーションです。これらに準じた行動はいくらでもあります。

 駅前のライブなど、騒音で迷惑がっている人はいっぱいいますが、しないではいられないのです。」


 この本の「はじめに」で述べられていた、「・・肉体的には大人になっても精神的に成熟できないままでいるアダルト・チェルドレンのような存在の不健康さは、今日、まず多くの本があるように、簡単には表現しようもないほど深刻で不幸なものです。」そのものの記述です。


「いかに自分が幼い頃から注目されないで育ってきたかです。こっちを見てくれなかった、自分の気持ちのところへおりてきてもらえなかった、ということです。

 これは保育園でもよほど優れた保育者でなければ十分に対応できません。二十、三十人の子どもを毎日見ているのですから。親も十分にしていません。本当はいろんな人の手の中で育ててもらえば、そのときにかわいいねえとかわいがってくれ、『高い高い』や『いないいないばあ』などもしてくれます。」


 たしかに、保育園にお邪魔してみるとこのことを実感します。身の回りのことができるようにすること、一斉保育に乗れるようにすること、保育者の言うことを聞くようにすることに目が行ってしまっている保育士さんがたくさんいます。

 たまたま、隣り合わせた赤ちゃんをあやしている場面も見なくなりました。


 「それらの一つひとつの日々の営みの中に、二十歳にもなって成人式で着飾って爆竹を鳴らすなどの行為をしなくてもすむ感情が育ってくるのです。

 ある新聞社が面白く書いていました。『こんなことをする若者の親の顔を見たいと思って訪問したら、二十歳の本人がすでに親だった』と。

 もう世代を超えています。親がこっち見て行動をやっていながら、自分のどもの気持ちになれる子どものほうを振り返ってあげられるなんてもう無理です。」


 でも、声をあげ続けなければ。かわいがり子育てを広めなければ!


 与えることは学ぶこと

「大学でも、学生が共感できるような話題をまったく織り交ぜないで講義をすこともあります。私語をしている学生からみると、教授の講義は教授の私語になるのです。そういう人間関係なのです。

 騒ぐ学生というのは、みんなに見てほしがっているのですから、『君たち、この檀上へ上がれ』と私なら言いますよ。私は少人数の講義はほとんどなくて大講堂での講義ばかりですが、そういう私語をするような学生はあまりいません。

 私は心をこめて講義をするとはこういうことかと思ったことがあります。大勢の学生がやってきて『先生、最終講義をしてほしい』と言うのです。最終講義とは定年退職する教授が最後にするものだと説明したら、そういう意味でなく、卒業生に対して最後の講義をしてほしいと言います。

 もう卒業生の授業は終わっているので聴きにくる学生などいないと言ったのですがいるから計画するのだと。そこで引き受けました学生が私の講義を最後に聴いて卒業していきたいというのは、とてもうれしかったです。卒業する学生のための最終講義です。どんなテーマがいいかと訊いたら、就職する我々に向けて何でもいいからと。」


 さすが佐々木先生。先生冥利に尽きるとはこのことですね。

 私も、退職して短期大学の幼児教育学科で授業をしたことがありましたが、福祉関係の授業はどうしても根拠になる法律や制度の説明をしなければなりません。学生が興味を持ちにくい内容の話をせざるを得ません。

 まじめに聞いている学生は、前のほうに席を取っている一部の学生に過ぎませんでした。

 それも、クラスが複数あるので、同じことを複数回繰り返すのです。

 相談の事例とか、具体的な話ができる授業科目ならば違っていたかもしれませんが、私には教員は向かないと1年で辞退をしました。

 佐々木先生の足元にも及ばないことがよくわかります。


与える者と与えられる者がいつも価値が等しいときに人間関係が健全に成立していると、エリクソンが言っていますが、学生から学べない教授の講義は学生に大したものを与えていません

 患者から学んでいない医者の治療は大したものではない。 一方だけがものを与えているとか、片方だけが幸福ということはなくて、幸福とは相互に感じ合っているときに互いの間に幸福があり学びがあるのです。エリクソンのすごい言葉です。

 あるとき、空港のロビーで待っている間のことです。テレビに日野原重明先が出ていました。医者として若いときは論文や教科書からたくさん学んだ、しかしある年齢になってだんだん患者さんから学ぶことのほうが多くなってきたそうです。ですから、患者さんにたくさんのことを与えることができるようになった医者は患者さんから多くのことを学べるようになっているのです。

 医者としての熟練というのはそういうことです。

 自分が一生懸命勉強して患者さんにたくさんのことを与えていると思っているうちは大したことを与えていないし、患者さんからも大したことを学べていません。

 ですから、子どもといることに幸せを感じ取れる母親や父親でなければどもは自分の親と一緒にいることに幸せを感じ取れないのです。」


 第4章はこれで終わりです。最後まで手厳しい指摘が続きました。

 でも人はすぐに忘れます。

 毎日、佐々木先生の本を読み、このブログを書きながら、日々の暮らしの中で、相談の場でこのことを忘れ、相手を変えよう、相手を動かそうとしている自分がいます。

 来週も保育園にお邪魔します。少しは学んだことを実践に活かしたいものです。

 お付き合いありがとうございます。第5章に入ります。

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